季節性鬱 私のファンタジー

さっきツイッターのまとめで、

寝取られ性癖に苦しむアライさんの寝取られクロニクル

を読んだんです。

 

この方、愛する人に裏切られて完全に壊れてしまった。

すごくよくわかる。

 

この方のタイムライン

「寝取られ性癖に苦しむアライさんは、夜道を歩きながら、マンションの窓灯りを眺めるのが好きなのだ。見上げていると、無数の窓灯りの中に、寝取られることなく、幸せなまま、ずっとふたりで笑い合っている、本当のアライさんとフェネックが暮らしているような気がするのだ」

 

「本当のアライさんは、今このときも、別の場所で別の誰かと目覚めて、別の人生の続きを始めているような気がしてならないのだ」

とある。

これは辛い。

 

私を沢山傷つけた元彼が、これから超有名になるんです。

今日、伝統のある建築物の中で、プレ発表する予定。

世界的に有名になる発見をしたのです。

ずっとその話を、元彼から聞いていた。

応援してたけど、いざ世界へ飛び出す段になると、嫌な気持ちになった。

 

人間性と、能力は、別でいいのかよって。

 

(いいんだけどさ)

 

そこで台所仕事をしながら、自分のファンタジーについて考えた。

 

私は、ひとかどの人にならないといけないのに、もう人生も半分超えて、

こういうことって、書くといけないらしいんだけど、

なにひとつまともにできないし、有名になるような力が無い。

ただ、変わってるだけ。

 

だから、凄い人に見出されなくてはいけない。

世界的に凄い人が私を見出して愛してくれて、それを公表してくれれば、

わたしは価値のある人間になれる気がする。

 

価値のある人間にならないといけない

 

これってどこから来たんだろう。

 

それについても考えてみよう。

 

どうしても、自分にはなんの価値が無くて、

価値がないまま終わるのは、絶対、絶対だめ、って呪いが強くて強くて、

 

私の価値について考えてみよう。

 

今日は山に登ってきます。

友達が

こういう企画がいいんじゃない、ってすすめてくれた。

 

今ここに集中できず、

どこかに自分の本当の人生の水脈みたいなものがあると思い込んで、

それを必死に探している。

 

それが私のファンタジー、白馬の王子様と良く似ている。

 

人が私を苦しめるなら、人が救いに来てくれよ、って思いは

鬱の状態のときには非常に強く流れる。

 

頭では知っている。人からどんな目にあったとしても

治癒できるのは、自分だけなんだ。

 

疲れる。誰か私を迎えに来て。

 

と、考える私を包みながら、山に行って来ます。

 

よいしょ、よいしょ。笑