「私には」

瘋癲さんと付き合って半年強。

ずっと、

これって体の関係だけじゃないのか、

すぐに連絡が取れなくなるのではないか、

時間の無駄じゃないのか、

と悩み、そして根本の問題

そもそも彼は本当に私を愛しているのか

どのくらい愛してくれているのか

それはいつまでなのか

私が本当に困ったことになったときには音信不通になっていくのではないか、

など、ことあるごとに悲しく考えていたのですが、


さーさんに
「会って満たされるなら、それでいいじゃない」

あーさんに
「今はそれを求めているんだよ、そうじゃなかったら、また別の人と付き合うよ」

と言われ、強引に頭の中にパーテーションが立ち、

そして急に、とても満足したのです。

言葉って、本当に不思議。

今日友達への手紙に、それを書きました。

書くことでさらに気持ちが整理された。

私の「付き合う」は、

一生の保障を約束し、相手が窮地に陥った時は自分の全てを捧げることで、

だから相手にも同じことを求めていた。

相手はきっとそうじゃなかったけど、

表向き、合わせてくれていた。

好きになると生活の殆どのことが相手優先になった。

好きな人の笑顔を見るのが好きだった。

私が彼の生活に溶け込めば溶け込むほど、一体になった気がした。

そして誰に心変わりしたこともなかった。

前の彼とは15年暮らしたけど、変わらずにずっと好きだった。

彼の行きたいお店に行き、彼の食べたいものを一緒に食べた。

彼が和んだり、笑ったり、楽しそうにしているのを見るのが好きだった。



でも結局それが終わってしまって。



「そして次の相手が、全く掴みどころのない瘋癲さんだから、

相手を優先していくやり方だと、私が潰れてしまうんです」

と手紙に書いたとき、思った。

相手が瘋癲さんじゃなくても、結局私は別れる度に、完全に潰れていたじゃないか。



自分の軸を相手に全部渡すやり方は、駄目なんだ。

「だから瘋癲さんが現れて、私は新しい人との付き合いのトレーニングをしている気がします」

と書いた。


何度も何度も、無意識に彼に渡してしまっているものを

気づく度に、自分に戻しながら。

相手の臨む形に姿を変えず、自分を溶かし込むことなく。

自分の形のまま、お付き合いできるように。

何があっても、「彼がこう言ったから」って言わないように。



そう思うと益々瘋癲さんがいて良かったなーって思う。

彼が私にどうこうとか、そんなことはどうでも良くて、

私のために、彼に会うんだ。

私には、あなたが必要なんです。私には。

次はいつ会えるかな。

おやすみなさい。