相手の行動に口を挟まない
先日瘋癲さんからの指摘を受けて、
「もう瘋癲さんのやることに口を挟むのは、やめよう」
って腹の底から思った。
こう書くと「あたりめえだろ」と思うけど、
「もっとこうしたほうが(私にとっては)素敵なのに」
というべたべたした女親のようなエゴを巧みに隠しつつ、
「正しいことを教えてあげている」という「善意行動」をしているつもりだったので、
恥ずかしながら、口出しすればするほど、良いことだと、女らしいことだと、尽くすことだと思っておりました。お、重い・・・・。
で、昨日一緒にご飯食べたとき、ビュッフェ式前菜を思い切り食べ、パンにコテコテとバタとジャムを塗って2つ平らげた瘋癲さんは、
「俺おなかいっぱいになっちゃった。もう食べられないよ」
と言いだし、運ばれて来たメインを目の前にしたまま、しばらく手をつけなかった。
今までの私だったら、胸が絞られるほど辛くなり、
(特殊な事情が無い限り、食事を残すことって、絶対に悪いことなのだ、私にとって)
「ねえどうしてそういうこと言うの、残しちゃだめ。捨てられるんだよ。誰かが作ってるんだよ。考えて食べなきゃ。食べられないならどうして注文するの。おなかがすいてないのに注文しちゃだめ」
などと言っていた。
うわー・・・こうして書くと、重い・・・・
なので、今回は
「たくさん食べてたものねー」
というだけで彼のことは気にせず、自分の分だけさくさくと美味しく食べていた。
あの話の後、私は彼に、
「いろいろ口出していて悪かったなと思って。そういうお付き合いしかしたことなかったし、むしろそれが良いことだと思って言っていたの」
と話していたので、彼もうるさいのから開放されて急に涼しくなったようだった。
で、のろのろとフォークとナイフを持つと、なんだかんだ言いながら、全部食べてしまった。
「食べちゃったね」
「そうだねえ、嘘をついたことになってしまう」
私自身も、凄く楽で、なんかアホみたいだけど、肩の荷が降りた。
(誰も持てって言ってない荷物を勝手に持って勝手に疲れている)
彼のことは、彼が決めればいいし、彼の行動は彼しか決められない。
自分で決定した行動を取る人にとって、頼まれもしないのに口を挟まれることは、ただただ邪魔だ。
私のような「行動の決定権は自分半分、あとは人のせいにしたいから責任の所在を開けておきたい人」にとっては、口を挟まれるとうれしいのだ。人のせいにできるし、征服されている喜びがあるから。征服は愛だと思っているから。
彼はいつもよりやさしく見えた。
瘋癲さん、今日もありがとう。
また次回ね。