他人は他人として勝手に生きている
先日、ある方面の先生と食事をして話したのですが、
彼の奥さんが瘋癲さんと似ている人だった。
①自分で決めたこと以外は絶対にやらない
②よって自分で決めたことに関してはストレスにならない
③それ以外のことは断じて、やらない
④好き嫌いがはっきりしている
⑤交友関係が狭く、人に積極的に話し掛けたり、会いに行ったりしない
⑥基本的に人の深掘りに興味が無い
⑦今目の前にいること&人に集中しているので、パートナーがどこで何をしていようが全く関心が無い
彼は長男で、なぜこの人はこう考えるのだろう、と様々なギャップについて考えるほうで、交友関係が広く、好奇心が広いタイプなので、
やっぱり奥さんの、この徹底した態度は寂しく感じるそうだ。
で、「パートナーは別に、自分じゃなくてもいいのでは」
と思うそうだ。
でも、結婚生活が長くなってくると、とっても楽だそうだ。
彼女からの拘束が全く無いから。
子どもができて、彼女の負担が大きくなってくると、
彼が出かけることに対して意見してくるそうで、
なるべくその前に、彼は自分で行動を自粛するそうだ。
彼が彼女のことを考える気持ちと、彼女が彼のことを考える気持ちは
時間、質とともに全く違うもので、
彼はそれが寂しくて、
なるべく他の女性にも好奇心をむけて、彼女のことに気持ちが集中しないようにしているそうだ。
「自分の思うとおりの行動を続けられるというパートナーとしては、良い相手ですよ、彼女はね」
と彼はいい、
「感情となると、また別だけど」
と言った。
相手を知りたい。私は、何もかも、知りたい。
過去のことも、これからのことも、家族のこと、トラウマ、恋愛、世界をどう捉えているか、私をどう思っているか、私といるときどんな感じがするか、私とどうなっていきたいか。
でも、そうじゃない人もいるんだな。
私のような気持ちを「好き」という言葉にするなら、
瘋癲さんの接し方は「好き」じゃなくなる
私の「好き」って、なんだろう
ただの支配欲なのかもしれない、過去のことなんて、完全に知ることなんてできないのに。(たとえ一緒にいたとしても)
思うとおりに動いて欲しい
という期待
ほんとに、今、
「他人は他人として独立して勝手に生きている」
ってことを一から学習しているような気がする。
その人のことをどうこうしようなんて。
ましては愛し方を押し付けようなんて。
思い上がりなんだろうな。
うん、今度瘋癲さんとも話してみよう。