皮膚が、ベルベットのように

2016年の5月に同居していた彼と別れて、

あまりの出来事に怒りも悲しみも感じないまま、ずっと一人の生活を送りながら2017年になった。

一人の生活で、私の部屋は私の内臓のように変化していった。

2017年の12月、なんとなく出会いサイトに登録した。

並んで夜道を歩ける関係の異性、つまり彼が欲しくなったのだ。

何人かと会っていくうち、初対面から非常に話の合う人をみつけた。

マイナーな固有名詞がどんどん通じ合い、話す時間がいくらあっても足りなかったその人は、

10歳年上の、言語解析の研究を趣味のように楽しむためだけに生きている極貧の瘋癲だった。

結局前の彼と別れて1年8ヶ月。誰にも、指一本触れられないまま、2018年の1月になった。

瘋癲先生と2度目に会ったのが1月2日の夜。

どの店も閉まっている繁華街の裏道をさんざん歩いているとき、

「僕と男女の関係になる可能性はあるのかな」

と聞かれた。

そのときは答えられなかった。

家について考えてから、進んでみようと思います、と返信した。

3度目に会った時、

「僕の部屋で映画を観ませんか」

と言われた。洞穴のような部屋は、書類と本と服と本と薬と布団とパソコンと段ボールしかなかった。

そこで海外では賞を取ったという日本の湿っぽいDVDを観た。

瘋癲先生は私の横でしきりに私の髪をなでたり生え際にキスしたりしてくるので困った。

お付き合いすると約束してもいない人に馴れ馴れしく触られたくなかったからだ。

その後普通に1回会い、ある日の夜、思った。

1月、私の誕生日に、瘋癲先生の部屋に泊まりに行こう。

付き合ってもいないのに?

構わない。誰かに包まれて寝たいんだ!!

誕生日の2日前に電話をかけた。

「部屋に映画を観に行きたいんですけど、遅い時間になっても良いかしら」

電話の向こうから

「どういうこと」

と言われた。

仕事で遅くなりそうなので。

そう、何時ごろ?

9時。

「いいよ、待ってる」



良いのだろうか。これで。

こんなことをして。

悪い?誕生日だもの。

誕生日くらい、誰かと一緒に眠りたいのよ。



泊まれなさそうな流れになったら、職場に泊まればいい。

泊まりに行くのなら、当然セックスをするかも知れない。

セックスしてもいい。

したいって言われてするんじゃない、抱かれたくて、行くのよ、

自分の意思で。自分から。

「私が」したいのよ。どんな結果になっても私の責任。

これからはそうしないと、また泣きを見る。

コンドームを鞄に入れた。



駅につきました、と電話をしたら、

僕今シャワー浴びてるから、ここまで一人で来られる?

と彼が言った。

部屋に入って鞄を置くと、私の背中に向かって

「今日、泊まるの」

と彼が普通に聞いた。

「どうしようかな」

と答えたら

「泊まれば」

と言われた。

「じゃ泊まる」

と答えた。

「泊まりに来たんです」

とは言えなかった。

二人でタルコフスキーの鏡を見た。

彼は私に触らなかった。

そのあと日本の映画を見て、寝ることになった。

ユニットバスの中に、彼の趣味に関するデータが印字された紙が沢山貼ってあった。

シャワーを浴びたら、布団が敷いてあった。

「布団は一つだよ」

彼が身支度をしているうちに、私が先に布団に入った。

アクリル毛布が暖かかった。

彼が入って来て、横に並んだ。

「疲れているだろうから、何もしないよ」

と彼は言った。

でも私は彼のほうを向いて彼の脇の下から自分の腕を差し入れ、

そして完全に彼にくるまれた。

彼の身体は乾いていて柔らかく、子供のように甘く香ばしい体臭がした。

どこを触ってもさらさらと温かく、私が待っていた身体だった。

自然で、自由で、思い込みやこだわりが無く、なめらかで持久力のある彼の身体と一緒に、私の呼吸は深まった。

大きな温かい手で皮膚という皮膚を撫でられ続け、身体は深部まで平和な気持ちになり、

やがてその奥から膣に向かって引き絞るような欲求が起きた。

自然に大きく広げた五指、すくい上げるような手つき、一本だけ深く曲げられた中指、角度をさぐりながら強弱をつけてゆっくり前後される腰。

熱を帯びた黒い蜂蜜のような吐息が耳元で私を溶かしていき、

終わった後も歌うようにゆっくり話す声が、ごくごく近くから次々と私の髪を流れ落ちた。その間も私の背中は彼の手で温かかった。

朝もう一度抱き合った。同じ欲求が身体の芯に灯り、私たちは重なった。

朝の身体も夜と同じ温かさで、その後、彼は静かに眠った。

私達は好きだとも言わず、次の約束もしなかった。

起きて、私一人で支度を始めた。仕事があるから。

彼は全裸でドアの前まで私を見送った。

ブーツを履いてドアを開けたら、ドアから入る光であらわになった下半身を慌てて隠すふりをしてみせた。

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