思い通りのことを言って欲しい
身体のことをまだ引きずっている。
「あんた、こういうとき、グダグダ言うだけで何もしないよね」
と友達に言われたことがある。
悔しいから痩せようとか、なんとかして見返そうとか、そういう気力に結びつかない。
恐らく、そのままの自分を肯定してもらいたいのだと思う。
友達に母のことを話した。
「あんたはスタイル悪くないよ。そんな母親ろくな死に方しないよ」
そのとき、思った。そう来るだろうな。でも違う。母を悪く言って欲しい訳ではない。
そして
「あんたは醜くない」
と言って欲しい訳でも無い。
でも友達は私を立て直そうとしてくれる。
向こうから全然連絡の無い瘋癲さんに電話してみた。
いつの間にか、東北に帰っていた。
これから東北に帰りますっていう連絡も、来なくなった。
瘋癲さんは私の話を聞いてたけど、受話器の向こうからはあまりこの問題にかかわりたくないという気がやってきた。相槌でわかる。先を聞こうする相槌と、早く切り上げようとする相槌の違いは、電話では特に如実に出る。
瘋癲さんは安易に人を慰めるということを決してしない人だったのを思い出した。
あなたは、綺麗だよ、みたいなことも滅多に言わない。
一度言ったら、何かあるたびに人の傷を自分が埋めにいかなくてはならない。
瘋癲さんにとってそれは面倒なことで、
だから相手に自分を依存させるようなことは絶対に言わない。
そんな空気が無関心に立つ中、私は話している途中で嫌になってきて、
「まあそんなことがあったの」
でさっさと締めくくった。
そして瘋癲さんが逃げないよう、間を取った。
「あなたにわざわざそんなことを言うのは、もしかしたら、お母さんにも、何かあるのかも知れないね」
言葉を選んで瘋癲さんが言った。
あなたは私をどう思うの?綺麗?醜い?
私は決して醜くないと言って、誰が醜いといっても僕はあなたを綺麗だと思ってるよ、って言って。
そんな独り相撲が、失笑するくらい滑稽に見えて、そそくさと会話を切り上げて電話を切って考えた。
私は何を求めていたのだろう、相手に。
「違う」って思うくらいなんだから、言って欲しいことがあったはずだ、
ずばり、これを言って欲しいってのがある筈だ。
そして
「そんなお母さんと縁を切らないで、あんたは優しくて偉いから、将来きっといいことがあるよ」
と言って欲しかったのではないかと思った。
私は最近
「将来も大丈夫だよ」
と言われるのが一番嬉しい。
傷つくと、将来が一気に崩れてくる。
それを立て直したい。
できれば人に立て直して欲しい。
でも自分で立て直すしかないんだな。
自己肯定感が少ないと、いちいち面倒臭い。
流せない。一度傷つくと長く尾を引いて、他の人の言葉まで変な意味に聞こえてしまう。
さっさと誰かと寝たいけど、瘋癲さんは居ないし、いても素っ気無いし。
こういうときはどうしたら忘れられるんだろう。思いっきりまた何か書きなぐるかな。
こんなことがあったので、私はパートナーに何を求めているんだろうって考えてしまった。
思い通りの言葉を言って欲しいって。
陳腐だし、バカバカしいよな。
人で自分を埋めたいって思いが、全然抜けない。
抜けなくていいんだろうか。
こうなると全てが面倒臭くなって、死にたくなる。
頑張れ、頑張れ、まだ、死なないで。