それが価値観の相違

瘋癲さんが東北から帰って来た

電話をしたら出なかった

体調が悪くて・・・いましばらく待ってください

とメッセージがあった

 

暫くして電話をしたけど、また出なかった

折り返しも、メッセージも無かった

 

以前は必ず折り返しをくれたものだ

「これって、何なの?」

って言いたくなるときもある

 

でも瘋癲さんはこう思うだろう

やれやれ、僕がこんなに体調が悪いってのに、

自分、自分、

(あたしの電話に出て!返信して!)

なんだなあ、、、、

 

「女って、いつも、視点を自分だけに集中させようとするよね」

と瘋癲さんは言った。

ドライな男友達もそう言った。

 

だから瘋癲さんには

「どうして電話くれないの」

とは言えない。

 

どうしてって、

それが彼の普通、だからだ。

 

私はもっと相手に比重を置きたい。

でも彼は「会う=楽しむ」主義なので、

落ち込んだり、病気のときに会うという発想がそもそも無い。

 

どっちが重いとか、薄情という訳じゃなく、

 

そこが価値観の違いなんだよな。

 

私もそういうタイプだったら、瘋癲さんなんて、全く手のかからない、まさに理想の人だったろうな。

 

このまま連絡が来なくなるかも知れないけど、私は、別れるときにはそういい合いたい。

 

終わろうよって、はっきり言いたい。

 

 

 

 

 

思い通りのことを言って欲しい

身体のことをまだ引きずっている。

「あんた、こういうとき、グダグダ言うだけで何もしないよね」

と友達に言われたことがある。

悔しいから痩せようとか、なんとかして見返そうとか、そういう気力に結びつかない。

恐らく、そのままの自分を肯定してもらいたいのだと思う。

 

友達に母のことを話した。

「あんたはスタイル悪くないよ。そんな母親ろくな死に方しないよ」

そのとき、思った。そう来るだろうな。でも違う。母を悪く言って欲しい訳ではない。

そして

「あんたは醜くない」

と言って欲しい訳でも無い。

でも友達は私を立て直そうとしてくれる。

 

向こうから全然連絡の無い瘋癲さんに電話してみた。

いつの間にか、東北に帰っていた。

これから東北に帰りますっていう連絡も、来なくなった。

瘋癲さんは私の話を聞いてたけど、受話器の向こうからはあまりこの問題にかかわりたくないという気がやってきた。相槌でわかる。先を聞こうする相槌と、早く切り上げようとする相槌の違いは、電話では特に如実に出る。

瘋癲さんは安易に人を慰めるということを決してしない人だったのを思い出した。

あなたは、綺麗だよ、みたいなことも滅多に言わない。

一度言ったら、何かあるたびに人の傷を自分が埋めにいかなくてはならない。

瘋癲さんにとってそれは面倒なことで、

だから相手に自分を依存させるようなことは絶対に言わない。

 

そんな空気が無関心に立つ中、私は話している途中で嫌になってきて、

「まあそんなことがあったの」

でさっさと締めくくった。

そして瘋癲さんが逃げないよう、間を取った。

 

「あなたにわざわざそんなことを言うのは、もしかしたら、お母さんにも、何かあるのかも知れないね」

 

言葉を選んで瘋癲さんが言った。

 

あなたは私をどう思うの?綺麗?醜い?

私は決して醜くないと言って、誰が醜いといっても僕はあなたを綺麗だと思ってるよ、って言って。

 

そんな独り相撲が、失笑するくらい滑稽に見えて、そそくさと会話を切り上げて電話を切って考えた。

 

私は何を求めていたのだろう、相手に。

「違う」って思うくらいなんだから、言って欲しいことがあったはずだ、

ずばり、これを言って欲しいってのがある筈だ。

 

そして

「そんなお母さんと縁を切らないで、あんたは優しくて偉いから、将来きっといいことがあるよ」

と言って欲しかったのではないかと思った。

 

私は最近

「将来も大丈夫だよ」

と言われるのが一番嬉しい。

 

傷つくと、将来が一気に崩れてくる。

それを立て直したい。

できれば人に立て直して欲しい。

 

でも自分で立て直すしかないんだな。

 

自己肯定感が少ないと、いちいち面倒臭い。

流せない。一度傷つくと長く尾を引いて、他の人の言葉まで変な意味に聞こえてしまう。

 

さっさと誰かと寝たいけど、瘋癲さんは居ないし、いても素っ気無いし。

 

こういうときはどうしたら忘れられるんだろう。思いっきりまた何か書きなぐるかな。

 

こんなことがあったので、私はパートナーに何を求めているんだろうって考えてしまった。

 

思い通りの言葉を言って欲しいって。

 

陳腐だし、バカバカしいよな。

 

人で自分を埋めたいって思いが、全然抜けない。

 

抜けなくていいんだろうか。

 

こうなると全てが面倒臭くなって、死にたくなる。

 

頑張れ、頑張れ、まだ、死なないで。

 

お母さん、言わないで

母は、私を「たくましい」と言う。

 

子供の頃から、肩幅があること、腕ががっしりしていること、胸板が厚いことなどを悪く言われ続けてきた。例えばお古がまわってきたときに言う。

「ああ、ああ、何よ何よ、これも似合わないの?嫌ねえー、もうー」

新しい服を着た時に言う。

「太いわねえー、こう、ふっとーい、って感じ!これじゃ何も似合わない」

顔や髪の毛のことも言った。沢山言った。

だから私は小学生の後半くらいから、自分の身体と顔と髪、つまり見た目の全てを、非常に醜いもの、恥ずべきもの、人をがっかりさせてしまうものとして自覚するようになった。

 

母は私を見ると、何か言う。

 

今回のお盆は、3日一緒に居たけど、一日1度は何か言う。

 

「その太い腕も写真に撮っておいたわよ」

「今何キロ?普通の服は着られるの?」

「がっしりしてるわねえ、そんな体の女の人、いまどきいない体型よね」

ちなみに私は162センチの60キロ、服のサイズ11号。

母は150センチの68キロ、私の骨格は母の骨格に似ている。

母も逞しく、胸板や肩が厚い。

 

私はこれに対して何度も

「体のことは、言わないで」

って、言ってきた。

 

こんな私の体を、素敵って言ってくれる人もいる。

 

3年前、15年事実婚をしていた彼の長期二股が発覚し、

やっとの思いで母に電話して報告したとき、母は

「あら何よ。時間が勿体無かったわね」

と軽く言った。

全感覚が麻痺したまま放心状態で生活している私には、

「やっぱり、あんたまた失敗したのね」に聞こえて、私の何かが切れた。

 

やっとの思いで

「そんな言い方、ひどい」

と発声した後、そこで今まで我慢していた全てが噴出してしまった。

 

「おかあさんって、おかあさんって、どうしていつもそういう言い方しかできないの」

床を拳で叩いて泣きながら怒って、今までの母から言われた鬱憤を、昔のことも芋づる式にぶちまけた。

「体のことだって、私今まで何度も何度も、言わないでって言ってるじゃない、

私、傷ついてるって何度も言ってるじゃない、嫌だって言ってるじゃない、人を傷つけてそんなに楽しいの?嫌なの!嫌なの!!私は、嫌だって言ってるの!!!言ってどうなるの?楽しいの?嫌がらせしたいの?どうして通じないの?何度も何度も、私は、嫌だって、言ってるの!!言ってるの!!!言わないでよ!」

とかなんとか、もう思いついたこと全て、発作かと思うような引きつりで怒鳴って、そのまま渾身の力で受話器を電話機に叩きつけ、通話を切ってしまった。

 

母から「落ち着いて寝なさい」とメールが来て、私はその後2日寝込んでしまった。

 

さすがに母は、その後2年ほど体のことを言わなかった。

 

でもまた、言うようになった。通じないんだな。

 

なぜ言うのだろう、こういうとき私はどうすれば良いのだろう。

 

15日の夜、一人で帰宅して、それを引きずったまま今日買い物に行ったら、エスカレーター脇の鏡に物凄く太い、醜い中年女が毛をむしった猪のように立っていた。それが私だった。

 

あまりの醜さに絶句してしまい、それが心に刺さって動けなくなってしまった。

家に帰って鏡で自分を映してみた。そんなにひどくなかった。

うちの鏡が細く見えるのか、百貨店の鏡が悪いのか、どっちだろうと考えた。

そして自分の心理状態も良くないんだろうなと思った。

 

私の体は決して褒められた見た目ではないけど、丈夫で、しっかりしてて、ドイツ製の車のような良い身体だ。

 

醜さを責められたくない。

私は醜くない。

 

自分の名前を自分で呼んで、一人でまた、自分を書き換える作業をする。

身体は健康で、私の生活全てを支えてくれている。

 

醜くない。

醜くはないんだ。

醜いっていう人のことは、聞かなくていいんだ。

 

 

女の重さ

自分大好きな男友達(オッサン)が何人かいるけど、瘋癲さんと似たようなことを言う。

 

なにかを共有したいなと思う時、

あー彼女が欲しいな、と思うそうだ。

 

でも絶対そのうち重くなってきて、

私のこと見てる?

っていう縛りがうざったくなるそうだ。

 

もういいや、と思ったら返信をやめて、自然消滅させるそうだ。

 

基本は、一人の気ままな生活が良くて、

たまに。女を楽しみたい。

 

それって、本筋のセフレで、

彼女のバックボーンとか、そんなものはどうでも良くて、

「ねえ、今、気持ち良いね」

ってのを、したい。

 

したい時だけ、したい。

 

食べ物、風景、音楽、会話、セックス。

 

単発でもう充分だそうだ。

 

理解できない。

 

いろんな人間がいるんだな。。。。

 

私は、それじゃ淋しい。

 

それじゃ、満足出来ないんです。

 

瘋癲さんから、連絡が来ない。

彼は自分のことで手一杯になると連絡をくれない。

 

っていうより、ここ最近、私が必要無いからだろう。

 

どんなときに必要になるのかな。

セックスしたいと思うときかな。

 

セックス、だけなのかなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果物は外側だけ

今、瘋癲さんが間仕切りの無い隣の部屋で寝ているのです。

 

昨日の夜、家に来たのです。

 

私、昨日の夜から、なぜかあまり瘋癲さんを好きに思えなかった。

会った時から、違う感じがした。

 

そして、彼は相変わらず、家の電気も消さないし、細かい生活のルールに杜撰で、

「電気消してきて」と言うと「めんどくさいなあ・・・」、と言う。

 

とにかく人と暮らすのが嫌だと常々言っているのは、どこでも隅々まで完全に自分の思うように生きたいということで、

 

そのあまりにも我が儘な言い分も、彼の

「どうかなあー」

というゆったりした口調にかかると、そんなに勝手に思えてこない。

 

でも、「汚くなるわ。今ここで片付けて頂戴」というような、

強くものを言う女性にかかったら、彼は「その場は」従う。

争うのが嫌だから。

 

そしてあまりよりつかなくなる。

 

そんな訳で、彼はうちで焼きソバを作ったのですが、

うちの野菜は平気で無駄にするし(刻んだ野菜を使わないで放置とか)、

まな板や菜ばしの置き場所をいちいち全部聞くし(全く覚える気が無い)

2玉の麺にあの濃い味の粉ソース3袋、すきあらば液体ソースも足したりするし、そしてそれを一人で食べてしまうし、

フライパンもお皿も流しに漬けっぱなしだし、

(私が強く言えば洗うけど、彼は基本洗い物は何日もしない)

ずっとテレビを見て、食べて、寝る。

 

私はいつものような気持ちで彼に寄り添えないことが不思議で、セックスもしたくなくて、プラスチックのような身体になったような気持ちで、彼の隣に寝た。

 

彼はいつも様々なことを敏感に感じ取るので、少し私の身体を撫で回すと、隣に寝ているのは人形だ、というようなあっさりした態度に変わった。

 

並んで横たわりながら少しお喋りをしたけど、おしゃべりも弾まなかった。

しっくり来なかった。

 

でも彼に色々なことを聞いた。

多くの女性が彼と付き合ううち、外側に位置されたままの自分の存在を、もっと彼の生活の中心に置きたくなってくる。

そして一緒の未来を確定しようとしたり、同棲の提案をしたり、結婚したいといったり、子供が欲しいと打ち上げる。

 

でも彼は人に合わせて起床するとか、光熱費が勿体無いから冷めないうちにお風呂に入れとか、人のルールに合わせて電気を消したり片付けたりとか、そういうことが大嫌いなので、とにかく基本一人で好きなように、

「自分の好きなときに好きなことを好きなようにやる」

が最も大切な人なので、どんなに好きな人の提案でも、断ってきている。

 

6年同棲していたとき、1階と2階に部屋を分けていたそうだけど、それでも窮屈だったそうだ。

 

なのに、「彼女が欲しいなあ~」とメッセージした出会いサイトを開放させたままにして、獲物を探している。

 

自分の生活が何より大切なのに、どうしてそんなに彼女が欲しいの。セックスのため?

と聞いたら

僕はそんなに彼女が欲しいと言うわけでもないよ

と言った。

 

(多分こうしたキーボードの音も「ああ、うるさいなあ・・・・」って思って寝ているのかも知れない。でも起きるともじゃもじゃの髪であたりを見渡してから「ああ、緑がいっぱいだ・・・」って夢のように呟くんだ)

 

女性がすきなんだね。

そうだねえ、女性というよりは、女性性がすきなのかもしれない

 

女性性ってのは、深く掘っていくと、やっぱり相手と一緒になりたいって思うものじゃないの。

いや、週ごとに男をとっかえひっかえするような、精神的にも経済的にも独立した女性もいる。アメリカには多かった。

 

そういう付き合いが理想なんだな、と思って、

女性性が好きって、浅く好きなのね。

 

と言ったら、そうかも知れない

と言っていた。

 

種があるとこまで、食べる気は無くて、

周りの果肉だけ食べていたい。

そこが一番香りが良くて、美味しくて、芽も出ないんだ。

 

ハーイ、って会って、楽しい話をして、セックスをして、解散する。

 

女性もそこだけ求めてくれたらいいのにね。

精神的に自立している女性。

そうだったら、20年くらい、同じ人と付き合っていたかもね。

 

そうだなあ、そうかも知れないなあ、と瘋癲さんは言った。

 

私はなんだか、それで、割とすっきりした気持ちになった。

 

根っから、そういう女性が良いんだな。

自分は勝手でありながら、相手にはしっとりした部分を望んでいるのかと思っていた。

男の美味しいとこだけを食べ歩く女性、が良いんだな。

 

いるなあ、でも瘋癲さんは、どうしてそういう人に会えないのかしら。

 

男にとって「美味しいだけ」の女は見た目と性格で、

 

女にとって「美味しいだけ」の男は見た目と、いかに夢を見せてくれるか、であって、その「夢」は所謂「夢」だから、財力や権力がマストなのかも知れない。

 

まあ、いろんな女がいるからね。

と瘋癲さんは言った。

 

柔らかい果実だけ齧ったって、つまらない。

芯までたどり着いて、

絶対に種を取り出して、土に植えたいわ。

 

と思ったけど、

自分ひとりで生きるって決めて、異性はエッセンス、って生き方も良いのかも知れない。

 

自分も相手も「今」しか見ない。別れたら何をしてても良くて、背景には無関心で。

「今が楽しければ、いいじゃない」

っていう。

 

これは子供が独立した男女ならではの醍醐味かも知れない。

「一人で死んでいいの?」「一人で年取ったら、迷惑だよ」

そんな言葉も軽々乗り越えて。

 

最後は後悔するのか、満たされて死ぬのか、それだって、自分で決めるんだ。

 

婚活、するけど、どうなのかなあ。。。

 

まあ、1年はがんばってみよう。

 

「こうして緑の中の知らない家で目を覚まして、夏の風が抜けて、あなたの声が部屋に響いて、それに返事する僕の声が部屋に響いているのを聞いていて」

 

瘋癲さんが夢のように呟く。

 

(今が楽しければ、それでいいじゃない)

そうなんだろうか。

 

それとも、キー!甘いわ!!一緒に辛苦を乗り越えないと、本当のパートナーじゃないわ!!!っていう私の呪いだろうか。

 

パートナーはそんなに大切なのだろうか?

 

そのあたりを考えてみよう。

ではでは、今日も良い日に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嘘と植物

瘋癲さんが家に来た。

 

この間、瘋癲さんに会った時間が嬉しくて、楽しくて、また会いたくなったので、私から誘った。

 

瘋癲さんは私の家までの道のりを記憶する気が全く無い。

私が迎えに来ると信じ込んでいるからだ。

 

一緒に買い物をして、帰った。

瘋癲さんが食べたいものを買い、料理は私が作った。

 

瘋癲さんは、くつろいでいて、楽しそうだった。

「ここは快適でいいなあ」

と言った。

 

家が快適なのは、私が快適だからよ。

 

今そう思う。そのときは只嬉しくて、思いつかなかった。

 

僕は15万の月給しかない男だから

と何度も言っていた。

でも私、知ってる。

私、月給18万だったとき、

家賃は3万9千で、それでも貯金を毎月3万積み立てしながら暮らしてたことがあるし、

元旦那さんは表現者だったので、もっと少ないお金で生活しなくちゃいけないこともあった。

 

カフェなんて、入れなかった。コンビニでものを買うなんて、できなかった。

 

1円でも安いところを探して、8円、10円、30円と切りつめて生活した。

瘋癲さんは7万5千の物件に住み、諸経費を沢山かけている。

パソコンサービスや、呆れるけど出会い系サイトとか。

そして毎朝カフェで朝食を食べ、コンビニで水やお茶やお酒を買っている。

電気や水も全く節約するつもりが無いし、とにかく大量に文房具やなにやら、すぐに買う。

貯金が無いと前から言っていたので、それが本当だとしたら、

どこかから、毎月送金がある筈だ。

多分8万から10万の送金だと思う。

別れた女性か、パトロン的な女性がいるのかも知れない。

 

15万って聞くたびに、どうして嘘をつくのかな、と思う。

そういうところは、なんだか小ずるくて、嫌いだ。

 

瘋癲さんにとって、好きって、どういうこと

って聞いたけど、心臓がドキドキする人とかなんとか言うだけで、

面倒臭がって取り合ってもらえなかった。

 

明日友達と会うけど、くる?って聞いたら、

女って複数になるとすぐ結婚とか言い出して、面倒くさいじゃない

と拒否のオーラを全開にした。

 

うちの植物を褒めるので、切って、包んで渡した。

私が育てたものが瘋癲さんの家に入る。

嬉しいことだ。

でも、彼はすぐ駄目にしてしまう気がする。

植物が瀕死の状態になっているのを見つけたら、持って帰ろう。

 

私のことは、好きですか。

都合が良くて、セックスができて、面白いだけですか。

そう考えると、本当に胸が苦しくなる。

 

ネットで「都合の良い女」を検索すると、

まさしく私のしていることが羅列されている。

 

 

まあ、仕方無いや。

私が別の探しをするって知ったらどう思うんだろう。

まあ、なんとも思わないんだろうな。

 

仕方無いや。

私をまるごと、未来まで愛してくれる人が、みつかると、いいなー。

恐いくらい、幸せになりたい。

こんなことが起きるんだ、今までがんばってきて良かった、って、泣きたい。

そんな相手をみつけたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファンタジー記録

こないだ瘋癲さんちに泊まったとき、嬉しいことを2つ、言われた。

 

風変わりな見た目のおじさんが一人でやってる飲み屋に入ったら、

「あんたたち、夫婦かい」

と聞かれ、

私は瘋癲さんの後ろで細かく頭を振った。

瘋癲さんは

「まあ、まあ、そんなものです」

と言った。

それが不思議だった。

 

多分、瘋癲さんに聞いたら、

こう言うだろう

「そう答えておかないと、後で色々と質問が、面倒臭くなるじゃない」

って。

 

家に帰っても不思議だった。

そして勝手に嬉しく思った。

まあ、こなれてる人なら、そう答えるよね。

私が馬鹿正直で、変わってるだけだ。

 

今思うと。

好きじゃない人とのほうが「夫婦ですよ」って言えるのかも。

私だったら、平気で言いそう。

まあ、いいや。

 

もうひとつ。

朝、私が動き出したら

「起きるの」

と瘋癲さんが言った。

瘋癲さんは私に早く出て行って欲しいのだ。

彼は一人のほうが、よく眠れるから。

「起きないよ」と言ってまた寝た。

トイレに行こうとすると

「起きるの」

と聞くから、黙ってトイレに行った。

戻ってくるとまた

「起きるの」

と聞くので

「もうあなたとは口をきかない」

「どうしてだい」

「私を追い出そうとするから」

とふざけたら

「そんなことないよ」

と言って一泊置いてから

「ずーっと、隣にいて欲しいと思ってるよ」

と言った。

それがあまりに適当な物言いなので

「棒読みなんだけど」

って言ったら瘋癲さんは笑った。

 

私が枕元のスマホを見たときに、また同じ会話をした。

 

家に帰ってから、思い出して、嬉しくなった。

 

面倒くさいから出てきた言葉。

適当にフォローするために出てきた言葉。

 

そんな言葉でも、私は嬉しい。

好きって、なんだろう。

あなたが大好き。

ずっとずっと一緒にいたい。

 

おやすみなさい。