ひとつあげよう、いや、やめよう

瘋癲さんは

ピントを合わせよう

と決意したとき以外はだいたい脳をゆったりさせているので、
よく同じ本を買ってしまう、そうだ。

何ヶ月か前、
この本いいね
と言った本を2冊持ってきて、

間違えて買っちゃったから、1冊あなたにあげよう

と言ってくれた。

そのあと極めて真面目な様子で2冊の本を見比べて、
1冊のほうの底に赤いインクがついているのを発見し、

はい

と汚れたほうを差し出した。

私は面白くも思い、変な気持ちにもなった。

私は、同じようなものが2つあるなら、良いほうを相手に渡すという教育を受けているし、
またそうするのが人間的に自制心があり、美しいことだと教わった。

しかし彼の様子は卑しくもなければ私を見下した様子もなかった。

私が、まだ寝ていない凄まじい美人だったら、綺麗なほうを差し出していたかも知れないけど。笑

そして先日、瘋癲さんの家に行ったとき、

あなたにプレゼントがあるんだよ

と彼が言った。

なになに

と言ったら、以前から私が探していた本を出してきた。
絶版の希少本だ。

これね、あなたこの本欲しいって言ってたでしょう、
僕神保町の古本屋でこれを見つけたんだよ。
あ、あなたが欲しいって言ってたなと思って。

もとの定価と同じ値札シールが貼ってあった。
薄い薄い文庫で、1000円くらい。

わー!嬉しい!!!

と言ったら、彼が2冊をじっくり比べ出した。
2冊はどちらも遜色なく綺麗で、どちらも新品のようだった。

うーん
と瘋癲さんは悩み

どちらも綺麗だから困ってるんでしょう
と私が言うと、そのうち、

これは、あなたが読みたくなったら貸してもいいし

と言って2冊とも鞄にしまってしまった。

その様子に私は大爆笑してしまい、

くれるっていったじゃない

と畳み掛けると、

まあ、欲しくなったらまた言ってください

とかなんとか意味不明なことを言ってゆったりと澄ました顔でとぼけていた。

60近くにもなって、こんなに自由なんて。

瘋癲さんのそういうところを見ると、私の教わってきた美しさから嫌な臭いがする。

私は本当に相手のことを思って綺麗なほうを差し出すのではなく、
私を美しく見せるようにそれをしているのではないかという臭いがする。

瘋癲さんから学ぶことは沢山あって、毎日が面白く、自由になる。

おやすみなさい。