子供が巣立つ寂しさ


息子が行ってしまい、寂しくて1日横になっていたら、母からメールが来た。

  • お盆は色々とありがとう。皆が帰った後シーツを洗濯するのに、洗濯機を5回、かけました。
  • てんぶくろから成人式の着物がみつかりました。写真と草履まであったので、陰干ししました。懐かしかったです。



巣立とうとしている息子に思いを馳せている私が24年前に着た着物を見つけて引っ張り出して、懐かしがっている母。

多分畳の部屋で正座して、着物を膝に広げながら色々考えたのだろう。



私にしてみれば、それに何十万かかろうが、成人式の着物など懐かしくもなんともない代物だ。

母が張り切って、いらないというのに趣味の悪い着物ばかりを山のように集めたような体育館に私を引き込んだのだ。

「ちょっと見るだけでいいから」と言いながらも色々なおばちゃんに取り囲まれ、嫌な色の着物をとっかえひっかえ肩から掛けられて、どれもいらないってば!と言えない雰囲気に閉口し、別にいいや母の気が済むのなら、と、その中でも一番地味な着物を選んだ。

すぐに本格的な採寸が始まり、母が色々な書類に住所やサインを書き出し、「え、本当に買うの、うちお金ないんじゃないの」と仰天した。

それだけなのだ。

母は喜んで、着付けだ髪のセットだと美容院を手配し、午前と午後の間違いではないかと思われるような時間帯に美容院に連れていかれて、髪をギュギュウに結わかれて鳥のようにスプレーで固められ、そのまま写真館に引っ張り込まれ、車で会場に連れて行かれた。

それだけなのだ。

母は何度も成人式の写真を見ていたが、私は着物も写真も髪型も嫌いで、あれから一度も見ていない。

その程度の写真や着物を、母がわざわざ「懐かしい」とメールして来たことに、大いに考えさせられた。

母は、多分私が息子を見るのと同じ気持ちで、二十歳の私を眺め、嬉しくて、嬉しくて、幸せだったのだろう。



母の思いを振り返って、生まれて初めて、母を気の毒に思った。

母のすることはいつも私が望まないことを先回りして逃げ道をなくすというというやり方で、恐ろしく的外れで押し付けがましく、センスと要領が悪く、全く感謝の範疇に入らないことばかりだったのだが、

たとえその愛の形がどれだけ歪んでいたとしても、母はどれだけ私に入れ込んで情熱を注いでくれていたことだろう。

そこまでして私に色々とエネルギーを注いで、なんとか自分の鋳型に入れようと文字通り奮闘して頑張った挙句、私は心の病気になり、殆ど実家に寄り付かない娘に成長してしまった。

「あなたは近所まで来ても家には寄らないのね」と時々母が言うのを、自業自得だと気にもしていなかったのだが、今日はじめて母の寂しさを思った。

何年もかけてお金と時間とエネルギーを思い入れた子供が、いとも簡単に母の愛の詰まったリュックを下ろし、軽々とした様子で自分の手の届かないところに、こちらの知らない世界に、後ろを振り返ろうともしないでいってしまうのを、ただただ眺めていることしかできない寂しさ。

間違いなく、母も同じ気持ちだったのだろう。



母の愛は、独りよがりで空振り三振の愛だった。

三振だったが、決して見送らず、全力で振り切ったのだ。ある意味真っ当だし、立派だったな、と思った。



はじめて、もう少しお母さんにやさしくしようと思った。

やさしく声をかける。
用事が無いのに泊る。そんなことをしようかと。

ここにくるまで、44歳と半年かかりました。

長かったけど、わかっただけ、いいんです。

間に合うんです、お母さん。