寂しさとは一体何なのか


今朝、息子を新横浜から見送った。

5時起き、早朝の新幹線。

新幹線が私の視線から消えて、改札に向かって歩き出すときから、

足腰が砕けるくらいの脱力感に襲われる。



この感じは何だろうか。

「もっと一緒にいたいけれど思い通りにならない」という憤りなのだろうか。

恋愛の「寂しい」と一緒のくくりなのだろうか。

でもがっくり来て泣きたくなるのは。

何か別のエネルギーが強引に引き剥がされて、傷のようなダメージを受けているのだろうか。

どうして泣きたくなるのだろうか。

思い通りにならないストレスから体中に発生する物質を、涙で外に出したいだけなのだろうか。

この無力感。



息子は元気だ。健康で輝いている。

それなのに、私の脳内は何をこしらえてひとりよがりに悲しんでいるのか。

贅沢病だろうか。依存だろうか。無いものねだりだろうか。



自分の子供の成長はいつでも特別で、モーゼが目の前で海を割るように、親の眼に飛び込んで来る。

海を割って、割って、割って、割って、そのまま向こう岸へ消えてしまう。

そんな感じだ。

寂しがるのは勝手だけど、寂しさが息子に伝わりすぎないよう、頑張っている。



今日は夏休み最終日。

今日は少し休んで、それから家の中を綺麗にしよう。

寂しいけど、仕方ないんです。

こうなるの覚悟で、生活を別にしたんです。

生きて、元気で、笑っていてくれれば。

さらに希望を持てる人間に育ってくれれば、もう十分、本当に恵まれているんです。