感謝とはつまり何なのだろう

私のあまり好きでない言葉に、「感謝」があって、

あれがなぜ嫌いかというと、気持ちも何も伴わずに、むやみやたらと乱射表記されているからだ。

しかも「感謝☆」なんて書かれると、しかもそれで〆られたりすると、「語彙の少ねえ野郎だな」と思う。

昔入信していた宗教で感謝のゴリ押しを受けていたのも嫌だった。

(そこでは主に、「今日お化粧をしようと思ったら固形ファンデが割れていて。ああこれは○○様が私に気づかせてくれようとしているのだなと。感謝だなと」と言うように乱用されていたのであった。もちろん、乱用しない人もいた。)

たまに「感謝」で〆てあっても、非常に感じの良い人もいる。
その人がどのくらいリアルな感謝心を持っているかというのは、その人が持つ文章の肉体でわかる。

きつい前置きは置いておいて。

先日、エネルギー調整を生業としている人と対面する機会があったのだが、その人に色々言われた中のひとつに、「感謝が足りない」があった。

「そんなことは無いと思う!」と私は言い返した。

不平ばかりいって暮らしている訳でも無いし、いつも「ありがとう」って意思表示している。

それじゃ駄目らしい。不満の反対が感謝ではないらしい。

どうも基本的に違うらしい。

「じゃ年がら年中感謝を心がければいいんですか?」

と聞くと、違うという。まるで禅問答だ。

「頭で考えたって駄目だ。あなたは感じてない」

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私は今まで本当に色々な人から「頭で考えてばかり」「頭でっかち」と言われ続けていて、

それはあまり良く無いことらしいんだけど、

じゃ、つまりどういうことなのかな?

考えすぎ。頭でっかち。感じなさい、ただ感じればいい、って、

それを言われると、なんだか頭に来る。私にはとても乱暴に感じる。

「この人は、感じられない人です」

自分が致命的な欠陥品のレッテルを押されたみたいだ。

考えないで動く人間なんていねえし、こっちだって懸命なんだよ、じゃその「感じ方」とやらを教えてもらおうじゃねえか。誰一人、教えられねえじゃないかよ。(脳内直訳)



でも、まあ、指摘されて感情的になるってことは、多分本質をついているのだろう。



そして、それは、「じゃ教えてよ」という問題ではなく、一人で取り組むべきとても重大な問題なのだろう。好きな色を、真剣に自分で選んでゆくように。

でもそれを忘れている私には、実はとてもむつかしい事で、それは「昼と夜の間に爪を立ててその二つを引き剥がしなさい」と言われたくらいに掴みにくい感覚だ。


あれから考えた。

そしてさっき、ここまでわかった。


多分私は、まだ人生の一番の基本を作る底辺では、脈々と自分を全否定し続けている状態で止まっているから、「感じ」が立ち上がっても、それを思考が打ち消してしまっているのだろう。

そして多分、感謝を認めるということは、「自分は実は非常に恵まれている」ということを認めることであって、私の奥底ではそれを許さないのだろう。

それはきっと、「自分は恵まれていない」と断言して生きている方が、なにかとできないときに言い訳が効き易く、居心地が良いからなのだろう。




押問答のあと、こう言われた。
「あなたはまず、生まれてきたことに感謝していない」


そこで言葉に詰まった。確かに、それに対して感謝していない。

でも思った。生まれてきたことに感謝?どうして?どうやって?

今を生きなくてはいけないから精一杯生きるだけじゃ、駄目なのか?

「感謝する理由がありません。

望んだ意識がはっきり自分にあって、生まれて来た訳でもないですし。

でも一日一日の問題には精一杯取り組んでいます。

それじゃ、駄目なんですか?」


ええ、ええ、見えない人の言い分は知ってますよ。本にいくらでも同じこと書いてあるもの。この世界でないと、修行できないんでしょ?だから修行できることに感謝なんでしょ?

でもそんなの、こっちは実感ないもん。

実感無いのに、「感謝ですー」なんて、いやらしい。

それこそ頭で考えてるだけじゃないの。



すると「今の状態を幸せに感じることです」

と言われた。

けっこう、感じてるほうだと思うんだけど・・・・これじゃまだ駄目なのかな。それも「考えてる」ことなのかな。



もっと感謝するとなると、「世の中には餓死する人もいるのに、私は幸せだ」的に、より辛い環境の人を思い描けばいいのか。

いやそれじゃネガな点にスポットをあてることになって、それもいけないことらしく。

(こっちの世界の人って、いけないことなど無い、と言いながら、実際は何気に色々誘導してゆくように思う)




どちらにしろ、感謝って、人と比較した結果感じるものじゃ、ないらしい。

もっとフツフツとあるべきものらしい。


今日はここまで。きっと言葉にするのは難しいことなのだろう。

自分を否定している人には、出来ないことなのかも知れない。

そしたら、順序を考えなおさなくてはいけない。

あっ、考えることじゃないし、いけないことでもないのか。

いやそうしたら、全然何も進まないではないか。

とりあえず考えるぞ。毎日考える。そして感じることについても考える。

間違ってるのかなあ、誰かに教えて欲しい。

あ、これも違うのか、一人で取り組むべきことなんだな。