動物として
最近、歳相応、についてよく考える。
それは同じ世代で見苦しい女性を沢山目にするからだ。
歳相応に、男らしく、女らしく、っていうのは、人の為の自己表現のありかたを押し付けられるようであまり好きな言葉ではないけれど、現在のアラフォーは見苦しい。
似合っているなら、美しいなら良いと思う。
似合ってなくて、美しくなくても、本人が本当に好きでやっているなら、それも良いと思う。
でもああいう若作り連中は、似合いもせず、美しくもなく、本人に決意があるわけでもないので、本質と外側のバランスが取れていない。
くすんだ肌に入れ込んだパールは青み掛かった灰色に見えるし、テリテリに塗った唇と経年で黄ばんだ歯の対比も汚らしい。
若い時と同じままの立ち振る舞いがおかしく見えるのは、それが男性を意識した性欲を掻き立てる筈のもので、それを人生40年もやってるいっぱしの成熟した女性が演じるのは非常に浅ましく見える。
不器用なのも、料理はお菓子だけというのも、縫い物ができないのも、無知なのも、若い頃「できなくても一生懸命」で十分可愛かったはずのものが、熟年がやると只の無能な人間に見える。
友達の結婚式に出たとき、そんなアラフォーの女性たちがふわふわしたワンピースと髪型で現れて無邪気に写真を撮っているのを遠くから見たとき、なんの仮装会場なのかとクラクラした。
そういう連中が最後のケーキにバイキングに群がってガツガツ食べ、自分の取り皿に大量に残しているのを見たときも、胸が悪くなった。
私は美しく無いが、あのような振る舞いは絶対にしたくないと思う。
動物として、発情期が遅れて来たように見える。
人間である前に動物として、非常に見苦しいことだと思う。