これを食べたい 食べたくない

瘋癲さんとご飯を食べたり、カフェに入ったりして、注文の品がテーブルに届く。

 

僕のをあげる

 

と瘋癲さんが言うときは

そっちも食べたい

という意思表示だ。

 

僕のを食べていいよ

 

と言う時も同じ。

その言い方は、無くなった祖母の言い方にそっくりだ。

 

「おばあちゃんはなんだっていいんだよ、そのイチゴが乗ったやつだって、なんだっていいんだよ」

 

私と妹は顔を見合わせて苺のケーキを祖母のお皿に乗せた。

 

メニューを選ぶ段階で、

あなた、これはどう?

ということもある。

 

A定食のこの部分と、B定食のこの部分が食べたいのだ。

 

瘋癲さんはだいたい食べたいものがはっきりしているのだ。

 

そんなとき私は

あなたが食べたいのを2つ選びなさいな

と言う。

 

私は、レバー料理、マヨネーズ料理、にんにくが強い料理以外は、概ね何でも良い。

ただうるさい場所は嫌。それだけだ。

 

私のメニューにそそられているときほど、瘋癲さんは親切になって

運ばれて来た自分のお皿を私の近くに乗っけてしまう。

 

そして猫が魚を見るときのような目になって、私の前に並んだお目当てのものを狙っている。

 

それを見るのは楽しい。

だから私は只の便利な都合の良い人の位置に置かれてしまうのかも知れない。

 

自分が味わう味覚なんて、今の雰囲気の味わいに比べたら、どうでも良い。

そして瘋癲さんの欲望に正直なところが好き。

 

私はあなたと一緒に楽しい時間を過ごせれば、

そこで私が悲しくならなければ、もうそれで充分なんです。

 

今日も良い日に。