おかあさん

 私は母の過干渉を受けて育ち、かつ若干多動気味でHSCのため、母を存分にイラつかせてしまい、物心ついたときから人格否定と容姿否定がデフォルトだった。

 

母とまあまあ話せるようになったのは本当に最近。

 

3年くらいまでまで、母は会うたびに私の容姿を悪く言った。

それ以降言わなくなったのは、あるとき私が、もうそれはそれは、気が狂ったのかと思うくらい激怒して泣きながら、電話で母に怒鳴り、受話器を叩きつけて切ったからだ。

 

母からは後で、「落ち着きなさい、ゆっくり休みなさい」とメールが来た。

 

私は灰のようになって次の日も次の日も起き上がれなかった。

 

それから母は私の容姿のことを言わなくなった。

 

アラフィフの娘があんなに発狂したのを見て、ちょっと恐ろしくなったのだと思う。笑

 

そんな母と昨日、出かけた。

 

母は何かと私に触る、それはあまり好きじゃない。昔とても叩かれたので、緊張するのかも知れない。

 

母が私の容姿を悪く言わなくなっても、私の中には常に母の言葉が装填されて、なかなか抜けない

 

「みっともない」「太っている」「なにその身体」「太った」「太った」「太い」

 

他の人に言わせると、私の身体は「痩せてはいないが、デブじゃない」太さらしい。

 

まあ、「デブ」って、相当だものね。。。

 

母は他の兄弟のことを話した。

私のほかの兄弟は全員優秀、高所得で、都内やベッドダウンに持ち家があり、そのローンも完済し、子どもも素直に育ち、超順調だ。

 

私は離婚して、さらにその後15年事実婚だった男性に他の女性がいることがわかって別れ、他の兄弟と比べると一人で異質な存在だ。

 

でも、私にはとっても優秀な子どもがいて、もう23歳で、独立して、とってもしっかり働いているんです。

未来も開けているしっかりした子で、楽しそうに生きているんです。

遠くに住んでて、1年に2回くらいしか、会えないけど。

でも、ああ、ここだけは、っていうかここだけが、私が胸を張れるところ。

 

いや、そうでもない、もっと胸を張れるところは沢山あるけど、とりあえず家族に対しては、子どもだけが、自慢。

 

母と駅で別れるとき、同じホームで電車は反対方向だった。

母の電車が先に来た。

「じゃまたね」

と母はそのままさっさときびすをかえして電車に乗り、私のことを一度も振り返らなかった。

 

私は最後まで母を捜した。

母は私の見えないところに乗り込み、そのままだった。

電車が動いて、母の顔が見えるかなと思ったけど、見えなかった。

当然だ、最後に私とアイコンタクトしたいという気が皆無だからだ。

 

私は、あれほど私に執着していた母が、目の前からあっさり消えていくことを、拍子抜けしたように受け止めた。

 

きっと死ぬときも、こんな感じでいなくなるんだろう、私に沢山の呪いをかけたまま。

 

おかあさん、おかあさん。

 

一日一度はおかあさん、おとうさん、と口に出してしまう。

 

あなたが死ぬまでにあなたがかけた呪いを全部溶かして、

大きいのも薄いのも細かいのも、全部全部溶かして、

私が一番輝いた状態で、私が自慢できるパートナーを紹介して、

私こんなに幸せになりましたよ、って見せたいです。

 

春は生きていて辛い。

もう頑張りたくない。

何もしたくない。誰か助けに来て欲しい。

疲れた。本当に疲れる。

 

でも私の身体はとっても丈夫だから、

まだまだ生きる。

 

私の身体はよく耐えている。

立派な良い身体だから、大切にしてあげよう。