引き受けて生きればそれで良いみたい、だ

昨日瘋癲さんに

今日の夜ご都合いかがですか

と聞いたら、

来てくださっていいですよ

と返信があった。

例週は次の日家庭教師があるから断られるんだけど、
曜日が変更になったのかなと思いながら行った。

到着してみると、彼は重くて暗い気をまとい、
私の存在をあまり歓迎していないのがわかった。

「僕は翻訳とかやることがあるから、勝手にしててください」

と言うなり暗い部屋のPCに向かった。

「忙しかった?だったら来なかったのに」

と言ったら黙っていた。

瘋癲さんはもともと、集中したいときは何日でも、メッセージの返信すら放置しておく人なのだ。

私は大家族の狭住宅で育ったので、割と音を出さないとか、
人の邪魔をしないとか、そういうことに抵抗が無い。

静かに布団を敷いて、枕元のスタンドをつけて、静かに明日の英語のプリントを呼んでいた。空襲に備えて光が漏れない生活をしているようだ。

3,4メートルくらい離れた彼から、全然集中できていない気が、常に形と質感を変えて立ち上っていた。

ときどき急にネットのニュースが聞こえた。

そのうち彼が布団にやってきて
「寝るかな」と言った

11時半。彼の体内時計からしたら、夜7時くらいの時間だ。

「寝られるわけないでしょう、私がいると集中できない?」
と聞いたら

「まあ、人がいると集中はできないことはできないけど」

と言いながら横に寝た。

そこで話をしているうち、彼が家庭教師を解雇されたことが判明した。

ああ、だからか。

もともとその家庭教師はミートアップサイトで知り合った女性の上、女性が彼に思いを寄せていたところからスタートしているので、危ういことは危うかった。彼女は積極的に瘋癲さんに迫っていたけど、彼はしらを切りとおしていた。

そこに彼女に新しいBFが出来て、あっさり解雇になったのだ。

彼はなぜか裕福な女性に好かれる。

極貧なので普通の女性にはメリットがなさすぎる。

彼を好きになる女性は男性の稼ぎなど、どうでも良くて、感性が面白く豊かな瘋癲さんは、服や外食を与えられ、まるでペットのように可愛がられる。
(まあそれで最後も、ペットのように手放される、と言って良いだろう)

最終的には土地や家など、

「もう働かなくて良い環境を、あげる」

ところまで来る。

基本的に女性が面倒だと痛感している瘋癲さんは、その貢物から来るしがらみが安易に想像できるので、

のんのんゆったりごまかしているうちに連絡が薄くなってくる、というのが定番の終わり方、らしい。

(ほんとのところは知らぬ。彼は法螺吹きだし、男性の多くは女性・活躍・稼ぎ・セックスに関しては盛る、修正があるから)

彼女もそういったタイプの方で、破格の高時給、加えてタイトなスケジュールだったので、瘋癲さんにとっては割りと命綱的な仕事だった。

瘋癲さんの専門分野を教えてもらうというテイだったが、普通の女性がその筋の専門知識を学びたいとはちょっと考えにくい。

まあ、密室のデート代、というところだろう。凄いな。

それが無くなることは大変だけど、まあ仕方無い。

彼は自分の気に入った仕事しかしないし、いまさら時給1000円の仕事など絶対にしないだろう。

前回会ったときの通帳の残金はあと20万。もう底をつきそうだった。あれが全財産だという。これからどうするんだろう。

家賃、光熱費、通信料。

しかもこれから遠方の実家に行くという。
鈍行列車で行ける距離ではない。

しかも彼は「思い立ったときに行く」というスタイルを崩さないので、事前割引切符などは買わない。

極貧の癖に、節約の概念が無いのはホトホト凄い。

さんざん話してから、散歩に行こうよ、と言われて、
夜中に二人で散歩に出た。

話しながら、私の存在は完全に「今たまたまそこにいる女」になっていることがわかった。

でも別に悲しくも感じなかった。

私に他の恋人ができたらどう思うのだろう、と聞きたくなった。

でも聞かなかった。そして思った。

あなたが、どう思おうが、

それはあなたの問題で、

私が作りたいと思ったら、作れば良い。

あなたが嫌だと言ったから、作らない、はおかしな話で

誰が嫌だといっても、作りたければ作ればよい、

その責任を自分で引き受ければ。

それは誰にも止められない、それだけだ。

トイレの掃除をしたら

「そんなことしなくていいのに」

といつも言う。

どういう意味だろうと考えた。

なぜ人のトイレの掃除をするの?という疑問は

対等に接する独立した人格を持つ友達に発せられるんだと思った。

私の家に遊びに来た友達が普通に私の家のトイレ掃除を始めたら、
私は驚いて、同じ事を言うだろう。

瘋癲さんといると、何度でも自分の同じ考え方に気づく。

「私はこれをしてあげる、あなたは何をしてくれるの」

わたしの男女間の関係の芯はまさしくこの思想で、

だから相手がいなくなると困ってしまう。

私は家事をしてあげて、あなたはお金をくれる

私はあなたを癒してあげて、あなたは私を愛してくれる

私はきっとあなたを介護してあげて、
あなたはきっと年金を私とわけてくれる

そしてまさしく2年前までの私がこれ
「私があなたに独占させてあげて、あなたは結婚してくれる」

彼は独占もさせてくれなかったし、結婚もしてくれなかった。

この一連の結果を、彼が悪いと思っていた。

瘋癲さんは徹底している。
本当に学ぶことは多い。

彼を見ると自分に同化していた刺青があることに気づく。

抜いて、抜いて、肌を私の肌に戻して、
誰のせいにもしない人生を生きたい。

もうひとつ凄く大切なことが。

彼の家からの帰り道、私は彼の重さに作用されて、また彼の根本的な冷たさに作用されて、また、考え出した。

私はもっとまともなパートナーを探したほうが良いのではないか、
探すべきではないのか?

その思考が展開されている間に気づいた。

「べき」?何に対して?

まともなパートナーのほうが「良い」?何を基準にして?

安定、平和、未来のお金。

また思考の軸がずれた。すぐにずれる。

人が見て「安定してよかったね」で、私は幸せなのか。

人が「お金あるじゃない、彼、これで安心ね」
と言ってくれることで、私は幸せなのか。

違う、そんなことは私にとってつまらないことで、

私には、発見のほうが大切。

そして未来の安定予想よりも、
今の発見を選ぶことで作用してくる未来を、誰のせいにもしないで、

ただそれを受け入れて、そこに幸せを見出していく、

私は今そういうことを瘋癲さんに教わっているのです。

やっぱり、瘋癲さんは面白いし、私にとって必要な人、今は。

じゃ今日もがんばろう、ありがとう