一緒に
瘋癲さんの家、というより部屋、に行った。
相変わらずクラクラするほど散らかっていた。
「この詩の解釈についてどう思う、僕はこう考えているんだけど」
瘋癲さんは昔の、質の悪い紙で作られた雑誌に掲載されていた詩を開いて見せた。
片仮名。繰り返し。怒り。諦め。見慣れない漢字の効果。
絶望、遠い視点、象徴、呼吸をするように自然な差別。
私はその詩から自分が受け取った情報を次々話した。
瘋癲さんは、素人の私の勝手な解釈をただうなづいて聞き、
「それは違う」と終わらせたり、話を遮ったりすることをしなかった。
「面白いね、今のところ、紙に書いておいて」
と時々言った。
こういう会話が面白い。ぞくぞくするほど面白い。涙出てくるほど面白い。
瘋癲さん、ありがとう。
おやすみなさい。