チューニング
どんなに気をつけていても、ときどき、生きているのがただただ面倒臭いという、どうしようもないゾーンに入っている。
入っているのが先で、それに気づくのが後なので、どうしようもない。
歩いていてもぐんぐん気が落ちる。
立っているのもしんどくて、その場にくずれてねそべってしまいたくなる。
色々な学習を経て、達観視だ、客観視だ、「こういう状態の私がいる」と考えるのだ、という現在。
一歩一歩、がんばれ、がんばれ、といいながら歩く。
無理矢理、どこかを片付けさせる。
無理矢理、料理をさせる。
少し突飛な服を着る。
鏡を見てもオエっとせずに、普通だ、大丈夫だ、こんなものだ、せめて小奇麗にして姿勢を正していれば普通の仲間に入れている筈だ、と言い聞かせる。
精油を全て香ってみて、呼吸が楽になるものを選んでつける。
歩いているときは音楽を聴きながら歩く。
バッハは、粉々に砕かれたものを分類してくれる。
そしてゆっくりだが、少しずつその旋律が体幹に張り付いて補強してくれる。
モーツアルトの明るい旋律は、しみじみ滋養になる。命が広がって喜んでいるのが良くわかる。
ヘンデルは根源的な安心感。母乳に似ている。
打楽器は純粋な生命力を沸き上げさせる。
バイオリンは思考の無駄を削って命を高める。
そんなこんなで、ある日いきなり霧が晴れるのをひたすら耐えて待つ。
自分にがんばれと言うのは野暮だと思うが、この時ばかりはどういう手段を取っても良いから、一刻も早く抜けなくてはいけない。
一瞬一瞬、我に返る度に、がんばれ、がんばれと声をかけながら生きる。
その様子は、へたりながら一緒に走る双子のマラソンランナーに似ている。