みっともない(身体)
子供の頃から母親に、タイトル通りのことを言われている。
悲しいことに、現在も言われている。
他にも「ちんちくりんな顔」「変な形の鼻」「いやな髪」「太い足」「どうしようもない身体」「変な身体」「おおきなお尻」「ひどい肩幅」など。要するにがっしりしている感じがほんとうに嫌いらしい。
これに最近は加齢に伴う身体的な劣化への批判も入る。
現在進行形で毎度毎度言われるのが「なによその身体!!」で、その後に色々な言葉が続く。
それも会って開口一番、私に向かって言う。他に人がいてもいなくても、言う。親戚の集まりでも言う。駅でも言う。
「あらー、ちょっとちょっと何よその身体、プロレスラーみたいじゃない!!」
とか、「あんたまた太って、ちょっとそんなたくましい人いないわよ、なんかこう、すごいわね」
私はそれに非常に傷ついて、子供の頃は身体の中で臓器をひきずり出されて踏み潰される音がして、座り込みたくなるほど傷ついていたのだけれど、笑っていた。
母親の言い方は「真実をわからせてあげている」言い方だったので、「その真実を踏まえた上で、あんたを育ててやっている」言い方だったので、私はわらって合意しなければいけない感じがした。
そうだよねお母さん、ごめんねお母さん、こんなへんな身体で、顔で、髪の毛で
私はそういう感じでヘラヘラ笑っていた。
特に細くスタイルの良かった従姉妹からのお古の服が届いたとき、母親はその間私をずっと怒って、がっかり、うんざりという顔をあらわにして、私の体をけなした。
入らないか、不様だから。
「ああああ、それも駄目。じゃこれはどうなのよ、ほら、これなら入るんじゃないの」
母親はそういって私にほかの服を放ってよこした。
私はカーテンの陰で「入りますように、お母さんが喜んでくれますように」とわらにもすがる気持ちで着替えて、世界一みじめな気持ちで、でもわらいながら「どう?」と母親の前に立った。
そして母親は、私に言いたいことを言った。
こうして打っていても、悲しくて悲しくて、涙が出てくる。
わざわざ昔のことを書くのには訳があって、昨日母親から電話がかかってきて、電話で(会ってもいないのに)いきなり身体のことをいろいろを悪く言われたからだ。
私はまたお腹を、生きたままお腹を鉄のスプーンでえぐられるような痛みに耐えて、それを受け止めたのだが、なんかもう、伝えていいような気がする。やめてくださいって。
母親がなんて言って来るかわかる。
あんたの感じ方はいつもおおげさって言うだろう。
でももう、言っていいような気がする。
「あなたのいうことはいちいちごもっともかも知れませんが(漱石)、私が非常に不愉快になりますのでやめて頂きたい」
傷つくほうが悪いって言うだろう。
私が悪くてもいい。昔の吐き戻しのことは言わない。
手紙で伝えるのもメールで伝えるのもその後が面倒だが、電話や会って伝えたらまた馬鹿にされて終わってしまう。
まあよく考えよう。
相手にしないくらい私が強くなれば、それでいいんだけど。
外見のことを悪く言われるのは、本当に辛いことだ。