3月から働き始めたサロンが、急に閉店することになってしまった。

本当に良いサロンだったのだが、オーナーの家族に大変な不幸があって、急遽オーナーが実家の世話に全力を注がなければいけないことになったのだ。

面接の時には明るかったオーナーの元気が無いのは、うすうす感じていた。体調も見るからに悪そうだった。

目も真っ赤で、いつも熱があるようで、最近は「坐骨神経痛で足が痺れる」と、片足を引きずって歩いていた。

でもサロンは新しい試みの備品も届き、使用しはじめたばかりで、通常通りの明るい毎日だった。

それがオーナーからの閉店通達とその謝罪で、雰囲気が一変してしまった。

私たちは急遽、新しい職場を探さなくてはいけない。

なんとなくオーナーとの間に、一線が出来た。

若い子たちのルーチンワークは明らかに雑になって来た。

私はそれが悲しかった。



今日は暇だった。

私が「少し体ほぐしましょうか?」とオーナーに話しかけたら、最初は遠慮していたオーナーも、

「本当にいいんですか?」と施術ベッドにうつぶせになった。



今倒れてもいいくらい、限界の体だった。

何をしても痛がるオーナーの体に触りながら、今が人生で一番辛い状態なのだろうと思った。

ふと、「あなたはお客さんの邪気を全部もらってる」と言った、「見える人」の言葉を思い出した。

実家の不幸を一人で浴びに出たオーナーの業を、私も今吸収しているのかも知れない。

でもいい。吸収しててもいい。いや、していない気がする。

(「自分はもらってない、って言う人に限って、もらってるんですよ」って、その人は言ってたけど)



施術が終わると、オーナーの顔色が明らかに良くなり、諦めたような灰色の表情が和らいだ。

「あー久しぶりに血が巡った気がする」とオーナーは言った。

苦しみで、全身の血を、ゼリーのように止めて。

少しでも解けたら、それは良かった。

もっと巡ったら良い。立ち昇る春の気に合わせて、萌える新緑と共に。



私も辛いとき、人に触ってもらい、言いようの無いやさしさに満たされた経験が何度もある。

お金を払ったとしても、払っていないにしても、私は、それは愛と言いたい、愛と呼ぶ。

オーナーも今夜はいつもより良く眠れると良い。



一体私は強いと言われたり、もろいと言われたり、自分でも良くわからないが、今日は大丈夫だ。



やっぱり人を元気にしたい。

腐るような逆境に正面から挑む人を、
どうしようも無い現実に全力で組み打つ人を、
希望が見えなくなりそうな日々も前を向いて生きる人を、


触ることで元気づけられるのなら、私は触りたい。

そして私も、触って欲しい。

手のひらで、触って欲しい。