片思いとファンタジーと自己肯定感

最近仕事で、恋愛の話を聞く機会が3回あった。

 

相手が自分と同じ気持ちになってくれない

もしくは他の人が好き

というのが片思い、であって、

片思いってのは辛い。

 

わからない人にはわからない辛さです。

 

面白いなと思うのが、

片思いが辛くない人がいることだ。

 

ひとつは、切り替えの早い人。

あこりゃダメだ、と思ったらすぐやめられる人や

最初から無理目な人には近寄らない判断力。

そういう人は恋が始まらない。

 

もうひとつは、他人にそこまでのめりこまない人。

「いいかも」くらいの感情で付き合えたり

「いいかも」以上には感情が動かなかったりする人は、

辛い片思いっていうのを知らない。

 

そういった人たちは苦しまない。

 

対して、絶対無理だとわかっていても、感情を止められない人は、

辛そうにしている。

 

この違いってのは、自己肯定感に関係しているような気がする。

意識の中で「自分」が8割9割を堂々と占めている人は、

そこに他人が入り込む隙が物理的にない。

 

何かのきっかけで他人が大きく入り込んだとしても、徐々に、自然な形に戻る。

「自分」が中心に膨らんで、他人は隅にやられてしまう。

 

親が自分の中の大部分をいつまでも支配していた人は

親が遠のいた後の大きな空白に、恋愛対象者が入るのだろうと思った。

 

私も同じで、恋愛中はこの有様だ。

 

 

ほどほどに好いてもらえても、自分の理想の愛され方をしたい。

人は変えられないし、きりがない。

 

年下の友達から

「その瘋癲さんって人は、あなたが急に死んだら、どうするんですかね」

と言われた。

 

「今下北沢で中華蕎麦を食べています」

私から返信なし

 

「やっと原稿が終わりました!」

私から返信なし

 

「今日はお仕事ですか」

私から返信なし

 

 

想像できる。

この3本のメッセージの後、

普通に連絡が途絶えるだけだと思う。

 

瘋癲さんは

「この人は僕から遠のいた」

と判断して、また新しい女性を探すだけだと思う。

うん、確かに遠のいたんだ。

物理的に。

 

そう言ってから、何かとっても空しくなった。

 

でも、死んだ後にまで理想の物語があるってのも、

ずいぶん暇な話だよな、と思った。

 

彼が葬式に来て、少しは(できれば思い切り)

悲しんでくれるっていうのが私の物語で、

まあ、そんなことまで考えるなんて、夢見がちだ。

 

そう思うと片思いが激しい人ってのは、

現実を越えたファンタジーが強い人なんだと思う。

あの人は自分によって変わる

いつか自分を好きになってくれるかも知れない

そんな有りえないことにしがみついて、

現実をそのまま見つめようとしないんだ。

 

だから誰がどんなアドバイスをしても続ける。

相手が自分をどんなに裏切っても、

ファンタジーは自分を裏切らない。

裏切った人がいつかこちらをみて永遠の愛を誓ってくれるって思ってる。

それは漫画や小説や映画で常に補填される。

 

私もそうだ。

瘋癲さんが「この人となら一生一緒にいてもいいな」って

いつか思ってくれるんじゃないか、って

腹の底ではそう考えてる。

いつもそう思ってる。

 

強固だ。笑

 

強固なファンタジーってのは、

やっぱり自己肯定感の欠如が大きく関係しているんだと思う。

 

最近瘋癲さんは自分のことに熱中していて、むこうから連絡が来ることは無い。

集中しているときにこちらから連絡するのも悪いなと思って

私もそこまで連絡していない。

本当は毎日したい。

 

相手に対する温度差があると、辛いけど

もう仕方無い。

 

そして仕方無いことが仕方無いまま

現実として続くことを受け入れるしか無いんだと思ったとき

透明で無情な悲しい色の服を羽織ったような脱力を感じるのだ。

 

それでも生きていかなくちゃいけない。

全然辛くなさそうな人たちを見ながら。

 

人を傷つけても、毎日楽しそうな、無神経な明るい人を見ながら。

 

ファンタジーは、訓練によって、いつか取れたり、するのだろうか。

まあ、前よりは薄くなった気がする。

そうじゃなければ、とっくに瘋癲さんを追い込んで、別れていると思う。

でももしかしたら、

ファンタジーを制することができるほど、瘋癲さんが好きなのかも。

笑 どうしようもないな。

 

片思いは、辛い。

それはあなたがファンタジー軍団の一員であることの証拠ですよ。

 

でも私は、隊員が好きです。

私達は、真面目で、正直で、永遠の愛を探しているんです。

笑われても探すんです。

 

前途多難なファンタジー軍団の人達が、皆幸せになりますように。

私ももっと私が膨らんで、

私を私で満たすことができますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不安ってなんだろう

瘋癲さんと連絡が取れなくてなってしまった。

 

お客様の都合によりお繋ぎできません

 

料金未納なんだなー

 

メッセンジャーでパソコンに送った

 

未納かな。ご指摘ありがとう

 

と来た。

 

そこからはメッセージャーにも返信もらえないし、携帯はアナウンスが変わって、

 

電源が入っていないか、電波の届かないところに。。。

 

こういう時、不安になる。

本当に忙しいのかなあ、

他の人を抱いてるのかなあ。

 

連絡が取れなくても、全然平気なんだよね、彼は。

つまり私が居なくても良いのよね。

リアルに、そんな感じなのよね。

 

何ヶ月くらい平気なんだろう?

その間に適当に誰かに乗り換えるから、寂しく無いんだろうな。

 

人を好きにならないって、楽で、いいな。

私のことを何も聞いて来ない。

 

私も一人で自分のことを一生懸命やる。

今日も頑張った。

 

でも本当は、愛されていることを実感したい。

 

おやすみなさい。

これを食べたい 食べたくない

瘋癲さんとご飯を食べたり、カフェに入ったりして、注文の品がテーブルに届く。

 

僕のをあげる

 

と瘋癲さんが言うときは

そっちも食べたい

という意思表示だ。

 

僕のを食べていいよ

 

と言う時も同じ。

その言い方は、無くなった祖母の言い方にそっくりだ。

 

「おばあちゃんはなんだっていいんだよ、そのイチゴが乗ったやつだって、なんだっていいんだよ」

 

私と妹は顔を見合わせて苺のケーキを祖母のお皿に乗せた。

 

メニューを選ぶ段階で、

あなた、これはどう?

ということもある。

 

A定食のこの部分と、B定食のこの部分が食べたいのだ。

 

瘋癲さんはだいたい食べたいものがはっきりしているのだ。

 

そんなとき私は

あなたが食べたいのを2つ選びなさいな

と言う。

 

私は、レバー料理、マヨネーズ料理、にんにくが強い料理以外は、概ね何でも良い。

ただうるさい場所は嫌。それだけだ。

 

私のメニューにそそられているときほど、瘋癲さんは親切になって

運ばれて来た自分のお皿を私の近くに乗っけてしまう。

 

そして猫が魚を見るときのような目になって、私の前に並んだお目当てのものを狙っている。

 

それを見るのは楽しい。

だから私は只の便利な都合の良い人の位置に置かれてしまうのかも知れない。

 

自分が味わう味覚なんて、今の雰囲気の味わいに比べたら、どうでも良い。

そして瘋癲さんの欲望に正直なところが好き。

 

私はあなたと一緒に楽しい時間を過ごせれば、

そこで私が悲しくならなければ、もうそれで充分なんです。

 

今日も良い日に。

 

 

 

好きとか愛とか

久々に瘋癲さんに会った。

 

翻訳で忙しいと瘋癲さんからぱたりと連絡が来なくなってしまった。

瘋癲さんは忙しいと連絡が途絶える。自分のペースが人の都合で変更されることを極度に嫌うからだ。

こちらから連絡すると、返信が来ることもあるし、来ないこともある。

 

いつもならクヨクヨと考えるところだけど、駄目になるなら、そうだとはっきりわかるまで、会いたい。少しでも会いたい。

 

仕事終わったらご飯食べませんか?と連絡したら、何時に終わりますか?、と返信が来た。会えそうだ。泊まれるかどうかは、わからなかったけど、少し会えるだけでも。

 

ご飯を食べて、深夜寄席にいって、銭湯に行って、泊まる流れになった。

 

瘋癲さんはずっと優しかった。

今日は優しいね、と言うと

いつも僕は優しいですよ、

と返って来る。

お布団で抱き寄せられて、久々に抱き合った。

 

私は次にセックスするときは、顔をしかめないように、穏やかなままでいようと思っていた。

 

正常位で挿入するとき、男の人は皆、女の顔を観察する。

 

目を開けてみると、ペニスの快感とは別な冷静さを持って、何かを確かめているように、快楽の燃料を探すように、私の顔を見下ろしている。

 

その視線にぶつかるたび、私に燃料になるような表情が出来ているだろうかと不安になる。観察されながらの正常位は落ち着かなかった。

 

一方瘋癲さんは愛撫を受けているとき、いつも体を大の字に脱力し、目を瞑って口を開けて死んだようにしている。

 

こんな感じ方でもいいんだ、と驚いた。

 

瘋癲さんは

今、気持ち良ければ、いくとかいかないとか、どうでも良いことだよ、

と言う。

私はそれにとても救われて、

 

もっと自由でいいんだ、と思ったのだ。

 

瘋癲さんと身体を合わせ、体中を撫でられ、温かくて深い幸せに包まれた。

 

幸せが高まった状態で挿入された。

目を開けたら、薄い灯りで照らされた瘋癲さんの顔が落下してくるように強く私に焼き付き、それが強烈なインパクトで私を揺さぶった。

 

瘋癲さんを感じようと静かに目を瞑ったところを、彼の腰が深く打ち込まれ、声を上げた。

 

瘋癲さんの存在が決定的に私の中を占め、たちまち溢れて私の感情を引っ掻き続けた。私は胸元を掴まれて揺さぶられるように、大きな力で何かの答えを問い正されていた。わかりません、わかりません、わかりません、

 

それが押し上がってきて目が焼け、刺されて血が出るように涙が湧いた。私は激しく突かれながら目を押さえた。涙は止まらなかった、熱くて、痛くて、本当に血と似ていた。

 

後ろから入れるよ。

体をひっくり返されて後ろから突かれ、瘋癲さんは射精した。

 

射精している顔を見たことがある。

凄く痛そうな顔をしていたから、

射精するときは痛いの?と聞いたら、

 

女だって感じていると、顔をしかめるじゃない。

と瘋癲さんは言った。

 

セックスが終わって、また体を撫でてくれる瘋癲さんに

私、瘋癲さんが大好き。

と言ったら、

もう寝なさい

と言われた。

私瘋癲さんが大好きなの。しつこい?

と言ったら

しつこいなあーと笑った。

そして

もう寝なさい

とまた言った。

 

迷惑ですか。

嬉しいですか。

 

愛してるって言葉は、あなたには使っちゃいけない気がして、

 

また私を愛してください。

あなたといると、愛されている気がするんです。

 

行為のひとつひとつに、愛を感じるんです。

 

それが私の錯覚でもいいです。

大好きなあなたに、また会えますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いるべき場所

今さっき瘋癲さんと別れて来た。

 

快晴の5月で、予約は無い。

 

当日予約が入るかも知れないし、入らないかも知れない。

 

あなたはこれからどうするの

 

と瘋癲さんが聞いた

 

わからない。こんなときは、私の居場所は、どこにもないんだなと思うの。

 

と答えたら、瘋癲さんが

 

今、ここに居るじゃない。

 

と言った。

 

そうじゃなくて、どこにも行くべきところが無いなって思うの。

 

あなたは家もあるし、病院に行けばお父さんもいるし。

 

そう行ってから瘋癲さんはいつもよりしっかりと、

 

今あなたの居る場所が、いるべき場所だし、ふらりと足を向ける場所が、行くべき場所だよ。

 

と言った。

 

どこにいても、例えばこの食器から、

 

瘋癲さんはドトールの器を撫でながら

 

どんなことからも面白みを感じられるんだ。

 

と言った。

 

べきとという考えを無くす方向もあるけどね

 

そして瘋癲さんは、アンドレジイドの鹿の話をしてくれた。

 

あなたは、えらいのねえ

と言うと

わざと重々しく、

えらいんだよ。

と返してきたので、私たちは笑った。

 

僕のおすすめは緑の中に座ることだけどね。

 

と瘋癲さんは行った。

 

ありがとう。

 

私は手を振って緑と反対方向に歩いた。

 

2時間かかるけど、父の病院に行こうと思った。

 

今電車に座っている。

 

総武線からの緑と、堀の水が綺麗だ。

 

ここが私の居場所です。

 

瘋癲さん、いつもありがとう。

 

私、本当にあなたが好きよ。

また、会えたら幸せです。

 

季節性鬱 身体の観察

体力があるので、どんなに落ちこもうと、落ち込んだまま動くことができる。

 

もう一人、肩に担いで生きる感じだ。

もしくは同じ体重分の砂を背負って生きる感じだ。

 

動けばいいんでしょう、やりますよ

 

そんな気持ちで動く、だから怒っている

 

最近気づいたことがある。

 

心の調子がよろしくないと、身体が冷えることだ。

 

あと、周りが見えにくくなる。

後で後悔して、また心の調子が悪くなって、身体が冷える

 

もひとつ気づいたことは心が辛い時は、必ず鳩尾が苦しい

 

胃の裏かと思っなら、鳩尾らしい。呼吸と関係しているような気がする。

 

最後にひとつ。

鬱傾向や回復した人、鬱の人と何人か接してきたけど、はっきりとした外的ストレスから鬱になった人と、家族のトラウマから鬱になりやすい人と、わかれる。

 

そして後者は自己肯定力が低く、いつももがき、感情的に過敏で、何にでもあらかじめ理想があり、それに合致しないと感情を害する。私も後者だ。

 

お客様や友達の中にも、はっきり感情を害する。

あなたには私のことはわからない、という上下関係をつくる。

 

前者の人は怒らない。

 

怒りは、ふつふつとエネルギーを奪う。

 

頑張ってるのに感謝されない

頑張ってのに世界は変わらない

 

どうしてだろうな。

多分、周りの人を助けると言いながら、自分のためのストーリーがあるのを、皆が感じているからだろうな。

 

今日も頑張る。

死ぬまで生きる。

 

良い日を!

 

#季節性鬱 #鬱と低体温

#鬱と冷え

 

 

ロルフィングを受けながら ついに瞑想に肩を叩かれる

ロルフィングを進められたので、10回セットを受けました。

 

1セットが10回なので、行くと決めた時点で10万以上の出費を覚悟です。

 

1回あたりの価格は施術者が提供する価格なので、人によってさまざま。

 

私の施術者(ロルファーという)の施術料は1回1万前後です。

 

2回目の施術で息を吸うと胸に激痛が走りました。

これは子供の頃よく感じていた痛みで、ここに残っていたのか、と思いました。

 

体の中に私の樹脂で固められていた記憶が溶けて、再現されているような、薄皮が少しずつはがれていくような。

 

自分の中を奥に向かって、芯に向かって手探りで進む、ということがゆっくり体から意識に作用している中、

 

あと3回という時に生まれて初めての捻挫をしてしまい、それが面白いほど治癒しない。

 

結果、仕上がらなくなってしまいました。

 

そのとき、ふと歯列矯正を思い出しました。

あれも大枚はたいて、自分で調べて、自分で選んだ矯正歯科。

 

歯が綺麗に並んであとは仕上げの調整、というときに右下の歯根に炎症が出たのです。

 

抜いてインプラントにするか、抜いて奥歯を前に移動させるか。

選んだのは後者、なぜそうなったのかは担当医が何度も変わったり、色々なことがあったのですが、結果、かみ合わせは最悪、下あごが引っ込んで顔の輪郭まで変わることになってしまった。

 

捻挫の痛みは全然取れないし、追い討ちをかけるように奥歯も割れてしまいました。

 

何かが整列を邪魔している、そんな気がしました。

整列することで私の中の何かに不具合が起きる。

それは私に根強く住み着いて、整列によって消えていくもの。

 

そんな気がしました。

 

10回が終わりましたが、左足首が痛いままの施術。

ロルファーもこの仕上がりには満足できず、

1ヵ月後に3回クールを追加することにしました。

 

その1ヶ月の間、ブログに書いたように久々に重めの季節性の鬱が来ました。

 

で、3クールの1回目を開始したら、父が事故に。

これも関係しているように思えてなりません。

 

そして色々な人から、強く瞑想をすすめられ出しました。

 

私は瞑想が嫌いで、若いころから色々参加してきましたが、まずじっと座っててもつまらなくて退屈だし、かかっている音楽も嫌だし、考えは全然静まらないし、動かないのは苦痛以外の何者でもないし、ましてや呼吸まで指示されて、窮屈極まりない。

 

だいたい瞑想に参加している人って色気が無くて、洗い倒して伸びきったような服を着て、世間を馬鹿にするような自分特別感、一線で活躍できない実力、専門用語ばかりしたり顔で使うような気持ち悪い人が多かった。

 

要するに「ほんとに頭がクリアだな」と思う人に会ったことが無かったので、太った人が企画している減量合宿みたいな気持ち悪さがあったのです。

 

この文を読んだ方はお気づきでしょうが、私、怒ってるでしょ。

瞑想って言われると、なんか「誰があんなもの」ってドタマに来るんです。

思ったことを言うと嫌な顔をされて、「変わってるよね」と言われてきた。経験によって空気を読むようになった。

これだけ行動、言語、行為全体が制限されているのに、思考まで、呼吸まで制限されてたまるか。

暇な連中が無駄金払って内輪で偽悟りごっこでもしてろ。

 

というわけで、すすめられても割りと嫌な態度で「私瞑想嫌いなんですよ、絶対できない。瞑想にかける時間が無駄だと思う」「全く意味を感じない」「ただただ苦痛」などと断ってきました。

 

ところが3回セットの2回目にロルファーさんが瞑想をすすめてきた。

彼は元々飄々とした人で、人になにかをすすめるようなキャラではないのです。

 

「いやー瞑想は私にとってコスパ悪いんですよ」

「いや、七波さんにとっては一番コスパいいですよ」

「だって雑念全然消えないし」

「消すんじゃないんです、沸いた雲を客観して、また自分に軸を戻すんです」

「いや、私の雑念って、雲の質感じゃないんですよ、固くて、迫ってくるんです」

「どうしてかなあ、七波さん、普通はおすすめされたことにはフットワーク軽いのになあ、ここに来てくれたことだって」

 

そんな押し問答をしながら、気づいた。

 

わたし、怒ってる。

 

おすすめされることはなんでもやってみる私が、

茨城の100メートルバンジーや滝行やへんなダンス、なんでもやってみる私が、これだけはやらねえ、やるもんか、って怒ってる。

 

怒るって。

何かあるからだ。

 

やろう。

 

「やります」

といったらロルファーさんが

「え」

と驚いて笑った。

 

その日にロルフィングをすすめてくれた人に瞑想のことを聞いた。

 

で、とりあえず毎日5分やってみることにしました。

 

「でもさ、怒ることないのにね、どうして私、怒ってるんだろう」

とお会計しながらロルファーさんに言ったら、

「瞑想したら、考えてた自分と違う人が出てくるからじゃないの」

と彼は笑いながら、さらっと言った。

多分正解だと思う。

 

というか、絶対正解だと思う。

 

ロルフィングを受けて気づいたことに、

 

常に複数沸いてくる他人軸の思考が実は非常にうるさいということ、

それが私の行動を妨げていること、

そして私は基本、自分以外の何かになろうともがいていること、

 

があって

これらが私を本当に苦しめている。

 

自分以外の何か、は私の中に、映画セットのような巨大で50年かけてコテコテと作り上げた壮大なファンタジーの中に住んでいる。

 

瞑想でこれらが消えたとき、私は死んじゃうほど思い知るのだろう、

自分の、本当のサイズ感を。

世界一じゃなくて、とりたてて何もできなくて、魔法も使えなくて、残された時間も無くて、肉の棒みたいにドスッて立ちながら、ただスーハー息しているだけの私を。

 

ファンタジーは根深い。私はいつもそこに逃げているからだ。

私の花園、基地、要塞、揺り籠。(実際は墓場)

多分そこを引き払うのに、10年くらいかかるのではないかと思う。
60から別の人、というか、本当の私として生きるのではないかと。

 

そんな気がします。

早いに越したことはないけど。

 

考えるだけで、疲れちゃった。

生きにくい。早く死にたい。

でも死ぬまでがんばる。

 

ではでは、おやすみなさい。


ロルフィング #瞑想 #ファンタジー